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執筆者の写真直樹 冨田

「若き芸術家たちへ」(佐藤忠良・安野光雅著 中公文庫:2011年

更新日:2023年10月29日

 佐藤忠良という彫刻家の名前を知ったのはいつ頃だったでしょうか。大学を卒業して数年後、北海道へ遊びに行った際、札幌でたまたま舟越保武展が開催されていたので中に入り、若い女性の人物像(彫刻)とそのデッサンの美しさに心惹かれ、それをきっかけに彼が書いた本を1~2冊読み、その中に「佐藤忠良」という名前が出てきた、ということだったかもしれません。以後、展覧会で両者の作品を数回見る機会がありましたが、二人の作品にはどれも気品があり、一体どうしたらあんな気品が出せるのか、その秘密は何だろうと思っていました。この本を読んで、それが少しわかりました。画家で絵本作家の安野光雅さんについては、私のギターの先生が彼の作品集をたくさん持っていて、先生のお宅でしばしば拝見しました。

 この本には4回の対談が収められています。1992年(バイカル湖の湖上で)、2001年6月(仙台の佐藤忠良美術館で)、同年11月(津和野の安野光雅美術館で)、同年12月(佐藤忠良さんのアトリエで)。1912年生まれの佐藤さんは2001年当時90歳でした(安野さんは1926年生まれ)。

 安野さんとの出会いについて、佐藤さんはこの本の冒頭で少し触れています。「ずいぶん前、『子供たちのためによりよい美術教科書を作ろう』という仕事がきっかけで、お付き合いが始まりました。けれど対談という形で話をしたのは、僕が終戦後に抑留されていたシベリアのバイカル湖畔、テレビ番組収録のためという、10年前が最初です」。

 作品が「気品」を持つには芸術家に何が必要か、その部分を抜き出してみます。

安野 何度見ても飽きないものをつくるのは、難しいことです。特に気品あるものを作る  

   のはね。

佐藤 歌でも何でも、どんなにすばらしくても、気品がなくてはダメですよ。隣人への気 

   配りがない芸術は嘘だ、と私はいつも思います(中略)『芸術はバクハツだ』なん

   て言うけれど、バクハツしたら粉々になっちゃう。本物は違います。うちにしっか

   り内蔵して、能の表現のように耐えて、それで外へ滲み出していく。大変な修練を

   積み重ねてじっと耐えて初めて表現される。

司会者(NHKのアナウンサー)がこの会話を受けて「内へためた静かな力、そこから気品が生まれるんじゃないでしょうか」「私は30年近く佐藤先生のアトリエに通っていますけれど、あ、今日もまた粘土をこねていらっしゃる、といつも思います。『世界の佐藤忠良』になっていらっしゃるのに。その誠実な積み重ねが、気品につながるような気がします」とまとめています。

 王貞治選手がホームランの世界記録を作った際に、佐藤さんがつくった半身像についてのこんな会話も興味深いですね。「長く鑑賞に耐えるためには、作品に時間性がなければならない」と言います。

佐藤 我々は写実の仕事をしていますが(中略)文学ならたとえば1ページから300ページ

   までの間で表現する。演劇なども1時間なり2時間の中で、意味がはっきりとしてく

   る。でも彫刻は彫刻そのもの、動かない顔が1つ、人体が1つあるだけです。かっ

   こいい言い方をすると、その人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごして

   きた時間、過去と現在と未来までも、時間性の中にぶち込もうとする。それが彫刻

   の苦しさだと思う。(中略)対象に似せようとするなら、一番いいのはデスマスク

   みたいに型をとればいい。でも極端に言えば、彫刻で顔を作るのは、その人の過去

   と現在と、将来どんな顔になるかまで、動かない粘土に語らせるようにすることで

   しょう?(中略)それで、これはやっぱり一回、王さんに会わなければならないと

   思って、アトリエに来ていただいたら、ぱっと会った瞬間に「いい顔をした男だな

   あ」と思った。派手ではないけれどたたき込んだ顔に見えたんです。

安野 あれ、私も拝見しました。そうやってつくると、本物の王さんより、彫刻のほうが

   よくなるんだよね。

佐藤 そんなことはない。(笑)

安野 本当ですよ。実物を見て作品を見ると「あれ、何か違う」とか「こちらが本当じゃ

   ないの」という気がすることがありませんか?(中略)司馬遼太郎さんから「絵に

   描いたリンゴは食べられもしない。それなのに絵の方がいいのは、どういうことな

   のか」と言われたことがあります。

佐藤 描きたいなと思った時に、作者のあらゆる哲学的なもの、思想的なものなどが投影

   されれば、絵のリンゴの方が実際のリンゴよりよく見えてくる。

 気品と時間性。これ以外にホンモノの作品が持つ要素・雰囲気は何でしょうか? 司会者が奈良・興福寺の阿修羅像について、これまで胸から上の写真でしか見たことがなかったが、初めて生全身像を1時間ずっと見ていたら「佐藤先生が言う通り、生命の躍動感が下かららせん状に上がってくるのが見え」たそうです。

佐藤 それは本当です。いい彫刻はどんなに暴れているように見えても、らせん状に躍動

   感が立ち上がってきて、しかも全部が枠の中にピチッと入っている。(中略)阿修

   羅像は手がたくさん伸びているでしょう?でも枠からはみ出していない。作用と反

   作用というバランスの原則もちゃんと踏まえられている。

 この本のタイトル通り、2人の話はしばしば芸術家を志す若者に今、何が必要かという方向に話が進んでいきます。その中で、佐藤さんは「徒弟制度の復活」を繰り返し主張しています。

佐藤 もう一度、徒弟制度に復帰しなければダメなんじゃないかなと思います。職人の立

   場から見ると、個性とか爆発とか言っている場合ではない。日本の奈良時代の仏像

   でも、ギリシアの彫刻でも、ルネサンスでもそうですが、みな徒弟制度から生まれ

   てきたんです。(中略)ダ・ヴィンチも徒弟制度の中にいました。そこではみんな

   ほとんど同じくらいうまい。でも、その中から光り輝くような一人が出てくる。

  (中略)人間的にうんと秀でた人が残っているんです。

安野 漆塗りしでもそうですよ。伝授する人がいなくなったらゼロからやってみろと言わ

   れても、こりゃあできないね。ほとんど絶えちゃいますよ。こういう場合、弟子が

   伝えられたことをそっくりそのままやらなきゃならない。(中略)土門拳もそうだ

   った。土門拳は腕を組んで、弟子がセットするのを見ている。これでいい、となっ

   たら、シャッターを押した。そういうやり方ばかりではないにしても「OK、これ

   でいい」と決めるのは土門拳だから、それでいい。

佐藤 (弟子は)基本をちゃんと教わっている。鉋の持ち方から鑿の使い方、物差しの当

   て方まで。(中略)(親方が)失敗して見せなきゃ。それも直に見せたほうがい

   い。「なるほど、こういう人でも失敗するのか」って。それが勉強になる。(中

   略)最後には親方が自分の秘密なども全部、弟子に伝えていくんですよ。それがま

   た親方になっていく。昔から「習い事は枠に入って、枠から出よ」と言いますが、

   そういう中からじわっと出てくるのが個性だと思います。

 安野さんによれば、バイカル湖上でロシアのテレビ局から取材を受けた佐藤さんは「シベリアに抑留されていたそうですね。大変だったのでは?」と質問されて「彫刻家になる苦労を思えば、あんなことはなんでもないですよ」と答えたそうです。線を1本描くのに対象(の本質)を抉り出すぐらいに観察し、「失敗を繰り返し、コンチクショーと思いながら何百回もやり直す」。これが「彫刻(家)の苦しさ」でしょうか。文庫本にもかかわらず、佐藤さんと安野さんの作品の写真がたくさん掲載されていて、とても楽しい(勉強になる)本でした。


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