私が地元でギタークラブを立ち上げて地域文化活動をしたいと思った理由の1つは、ギターを通じて地域の人々が出会う場を作りたかったからですが、劇団「青年団」の主催者で劇作家かつ演出家でもある平田オリザ氏は、この本で社会における芸術(特に演劇)の役割についてわかりやすい言葉で説得力をもって語っていて、「うんうん、その通り」と何度も頷きました。
そもそも今のように舞台があり、観客がいるような「演劇」は、紀元前5世紀のギリシャの都市国家アテナイで生まれたそうです。人類が初めて自分たちの共同体について話し合い、自分で投票するという政治形態(=民主制)を作ったアテナイでは、様々な意見や価値観をすり合わせて合意形成に持っていく技術が必要でした。その技術を磨く役割を果たしたのが「哲学」と「演劇」で、例えば、哲学者のソクラテスは弟子との対話を通じて「良いこと」と「良く生きること」を突き詰め、哲学だけではすり合わせることができない「感性」を演劇ですり合わせたと著者は述べます。
ずっと時代が下って第2次世界大戦後のイギリス。かつての大英帝国イギリスは植民地を失っていく過程で、植民地からイギリスにたくさんの人々が流入し、多文化への理解や多様性理解が急速に必要になりました。それらの人々をつなぐのは芸術であるとしてアーツ・カウンシル・イングランドという組織を立ち上げ(初代会長は経済学者のケインズ)、特に演劇教育を国策としたそうです。そういえば・・・前に紹介した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で元底辺校に入学した息子が入学した翌日、学校で行うミュージカルのオーディションを受けるシーンがありました。著者のプレイディみかこさんは、中学校の新入生全員がオーディションを受ける背景を次のように述べています。「英国の中学校教育には『ドラマ(演劇)』というれっきとした教科がある。演劇は中等学校教育の一環としてカリキュラムに組み込まれており・・・日常的な生活の中での言葉を使った自己表現能力、創造性、コミュニケーション力を高めるための教科なのである」。この考えは保育教育にも反映され(みかこさんは英国で保育士でした)、4歳の就学時までに到達すべき発育目標の1つに「言葉を使って役柄や経験を再現できるようになる」というゴールを掲げているそうです。
一方、日本では演劇教育がまったく取り入れられませんでした。富国強兵を目指した明治政府は「将校の命令を様々な地方の兵隊が理解できるように『国語』が、集団で規律正しく動けるように『体育』が、地図を読んだり描いたりする『図画・工作』が授業課程に取り入れられました。『音楽』は足並みそろえて行進できるようなリズム感をつけるためのもの・・・」。戦後も敗戦からの復興や経済大国を国家目標に一丸となって邁進した日本には、異なる価値観を理解することも、そのための必要な対話の言葉も必要なかった。しかし、世界の多様化が一段と加速する今現在、「日本も多様化への目に見える変化が起こり始めている。世界各国からの移住者が増え、国内でも家族の形や働き方が多様化している」。こうした趨勢で、これまでのような、価値観が同じで気の合う仲間だけでの楽しい「会話(=conversation)」では対応できず、異なった価値観をすり合わせて新しい価値観を作る「対話(=communication)」の力・技術が必要であり、そのような対話の力は演劇を通してこそ、確実に学ぶことができると著者は主張します。
ちょっと話は前後しますが、コミュニケーション(演劇)の起源として、おもしろい仮説を挙げています。所属する共同体が1つだけの動物では、対話=コミュニケーションは発達しないとして、例えば、美味しそうなバナナがなっている木を見つけたとき、群れで行動しているチンパンジーも、家族で行動するゴリラもみんな同じバナナの木を見るので、つまり同じ体験をしているので、伝える必要はありません。しかし、グループで狩りに出かけた村の若者がマンモスを仕留めると、家族のもとに戻ったお父さんはそれを家族に伝えます。狩りのグループと家族という2つの異なる共同体があって違う経験をしているからです。長期的に記憶する力を持っている人間は「昔、とてつもなく大きなマンモスが現れた。村の若者が活躍して、そのマンモスをこんなふうに仕留めたんだ。あいつはそれ以来、この村の英雄になった」と身振り手振りで伝え、それが親から子へ、子から孫へと伝わるーーこれこそが演劇の起源ではないか・・・(という仮説です)。
2019年、著者は東京から兵庫県豊岡市に移り住み、演劇教育に力を入れる同市の公立小中学校34校で演劇のワークショップを実践しているそうです(この本にワークショップの具体例も書かれています)。そして2021年4月、演劇やダンス、観光などを本格的に学べる公立大学「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」が誕生し、初代学長になりました。それとともに主催する劇団「青年団」も同市に移住しました。同地でどんな活動の成果が上がるのか、興味津々です。
※NHKのこの「学びのきほん」シリーズを読むのは2冊目です(1冊目は高橋源一郎「『読む』って、どんなこと?」)。字が大きく、ページ数も100ページ程度で、とても読みやすいシリーズ。値段も670円とリーズナブルです。
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